「私たちが変われば、世界が変わる」という思いで、新しい価値を提供し続けていきたい
ネットイヤーグループ株式会社 代表取締役社長 CEO 石黒不二代さん

2020.01.14

大手日本企業で海外営業のキャリアを積み、結婚、出産を機に渡米しスタンフォード大学のビジネススクールでMBAを取得するなど、当時の女性としては道なき道を切り開いてきたネットイヤーグループ代表取締役社長 CEOの石黒不二代さん。IT業界における女性経営者の先駆者として第一線で活躍し続ける土台を形成したキャリアや学びとはどのようなものだったのだろうか。

エンジニアとの出会いが人生の最大の力になった

――石黒さんは、学生時代にご自身の将来をどのように見つめていましたか。

実家は愛知県一宮市で繊維の輸出用の箱を製作する会社でしたが、繊維産業が停滞していく中で事業転換することができず、残念ながら祖父の代から続いた会社を父の代でやめてしまいました。家の横に工場があって、父親は朝から晩までそこにいました。家が駅の近くでしたので、スーツを着て歩いているサラリーマンの姿を見て、「あの人たちは何をやっているのだろう、不思議な人々だな」という漠然とした思いを抱いていました。

大学は家の事情もあって地元の大学に進学しました。理系も文系も勉強は得意でしたが、理系の方が好きでした。でも理系は寡黙な人が多いという勝手なイメージがあったため、何となく人と繋がる職業に就けて理系にも近いという理由で経済学部を選びました。

――大学卒業時、女性を取り巻く環境はいかがでしたか。

当時は女性の就職先はほぼゼロでした。就職課に行っても募集は男性のみ。就職したいなら四年制大学に行くなという時代でした。卒業後は1年ほど企業でアルバイトをしていました。そのうち徐々に先進的な企業が四大卒の女性も採用し始めたため、私は中途採用でブラザーの面接を受けて就職しました。

実は、当時からブラザーは収益の70%が海外で、従業員のほとんどが海外経験者。英語は得意ではなかったのですが、どうせなら海外の仕事がやりたいと思いました。履歴書に英語が得意と書いたら、見事に海外向けのプリンターの営業部に配属されました。ブラザーは女性の海外出張は危険だという古い面と、女性にも活躍してもらおうという新しい面が混在した会社でしたが、上司が人事にかけあってくれて、プリンターの販売をいわゆるOEMから一般販売に転換する際に1カ月間のヨーロッパ出張に行かせてくれました。海外の顧客と直接話して仕様を決め、エンジニアと生産ラインやスペックについて交渉するまでの全てを担当させてもらいました。そこでエンジニアの人たちと出会えたことが私の人生の最大の力になったと思いますし、きちんと仕事を評価してくれる会社で働くことができて非常に幸運だったと思っています。

スタンフォード大学で知った「協力すること」の大切さ

――大企業で実際に働くうちに、今に繋がるような転機はありましたか。

29歳の時に東京在住の人との結婚を機に、新しいことをやりたいという思いもあって退職を決意しました。ありがたいことに、当時の専務が東京での仕事を紹介してくれるというので、「M&Aをやってみたい」とお願いしました。何度かの面接の後に採用されましたが、その会社にはMBAを取得した社員しかいなかったため、私に与えられたのは、自由度は高いが当面は低いポジションで頑張れということでした。その後3カ月のうちに新規事業のマネージャーを募集していたスワロフスキージャパンからオファーがきたため、悩んだ末にそちらを選びました。

ところが、何年かして出産を機に保育所が見つからないという大問題が浮上。残念なことに父も母も他界して頼れる人がいない上、保育園は午後6時に閉まってしまう。そこで、「日本で働く選択肢はない」と思ってしまいました。海外の方が子育てもしやすいだろうし、MBAを持っている人しかできない仕事にも興味もありました。そこから猛勉強して、スタンフォードの大学に入りました。学費は2年で5万ドル。家族を連れて行ったので2年間で1,500万円かかりました。

驚いたことに、アメリカの保育園も日本と同様午後6時に閉まります。ただ、日本とは全然違うなと思ったのは、育児中の親は医師でも弁護士でも全員午後6時前に職場を出る。日本と違って職場の皆が「帰っていいよ」と言う。もちろん徹夜で働く人はいますがそれは独身の人。結婚したら家庭を第一に考えるライフスタイルが定着しています。

――社会人になってからの大学院での学びはいかがでしたか。

最初の授業からすごい衝撃でした。先生の話していることが全然わからない。すると、「それは大変だ」とばかりにメンターや先輩が寄ってきてサポートしてくれるのです。スタンフォードは、「自分達が選んだ学生は何か欠けている部分があってもきちんと目標を達成してくれる。そのために自分たちがいるんだ」という意識でした。だから、350人の学生で落第する人はあまりいません。そもそもMBAに来る学生なんて、ものすごくエゴイスティックで自分は世界で一番頭が良いと思っている人達(笑)。そういう人達を競争させても仕方がない。むしろ「一人では何もできないのだから協力しなさい」ということを教えてくれる。

スタンフォードでは企業とのコラボレーションが充実していて、有名な企業と一緒にプロジェクトをやったり、自分でケーススタディーを考えたりしているうちに仕事への意識も変化していきました。また、授業が始まるその日から全米中から企業が来てサマージョブのための面接も始まる。私費でMBAを取る学生は基本的には就職が目的ですから、大学一年~二年の夏に行われるサマージョブを経験しないと、「本気じゃない」と思われるため絶対やらなくてはいけません。ところが、結構な割合で面接で落とされてしまうんです。自分が世界で一番頭が良いと思っている人が落とされる。それを乗り越えて成長していくわけです。

渡米2日目から“起業の風”を意識した

――修了後に起業され、長きにわたって経営者を続けてこられましたが、起業を意識されたのはいつですか。

渡米前はMBAを取得して漠然と投資銀行で働くイメージもあったのですが、サンフランシスコ空港に降り立った瞬間、2日目くらいで意識が変わってしまった。なにしろ“起業の風”が吹いているんです。授業でも「起業したい人は手を挙げて」となると、ほぼ全員手を挙げますから。そんな環境の中にいて、私の意識もすっかり変わってしまいました。

ネットイヤーグループ社内

シリコンバレーでIT関連のコンサルティングの会社を立ち上げてから、様々な会社の経営に携わってきました。現在感じている最大の課題は、20年間やってきて会社の規模が大きくなっていないことです。デジタルマーケティングという産業は、まだ若い産業で、リーディングカンパニーと呼べるような会社が育っていません。サービスに関しても、たくさんのサービスが混在しているので、統合的なサービスを提供する会社が存在していないのです。しかし、だからこそ利用者がわかりやすくサービスを利用するためにも大規模な企業が必要です。

――日本では中小企業がほとんどですが、企業が規模を大きくすることを目指す理由はどんなところにありますか?

単に大きければ良いというわけではありません。確かに女性経営者ならではのサービスを追求することも良いとは思いますが、ネットイヤーグループが属しているITのような業態は大きくしたらそれだけ多くのお客様に有益なサービスを提供できるし、何かを大きく変えられる。私たちが変われば、世界が変わる。その思いがあるからこそ会社の規模を大きくしたいと考えています。
私はこの業界においての先駆者ではあったと思いますし、ユーザーエクスペリエンスという新しい概念を日本に広めてきたと自負しています。まだまだ、伸びしろはたくさんある。これからも多くの価値を提供していくことで成長し続けていきたいと考えています。

石黒 不二代
ネットイヤーグループ株式会社
代表取締役社長 CEO

1994 年アメリカ・シリコンバレーでテクノロジーに特化したコンサルティング会社Alphametrics Inc.を創業、社長に就任。1999年Netyear Group,Inc. 取締役、ネットイヤーグループ株式会社取締役を経て、2000年5月より現職。2008年には東証マザーズに上場させた。内閣官房 「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」 本部員、経済産業省「産業構造審議会」の委員などの公職も務める。著書や寄稿多数。フジTVの「新報道2001」やNHKの「Bizスポ」などでコメンテーターを務める。スタンフォード大学経営学修士(MBA)、名古屋大学経済学部卒。

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