「現場」を経験したからこそ見えてきたのは 現場主義がフラットな組織づくりの要になるということ
ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さん

2019.11.08

2004年に父親から事業承継して、精密金属加工メーカーであるダイヤ精機株式会社の社長に就任した諏訪貴子さん。その経営手腕は、ドラマ「マチ工場のオンナ」で描かれ話題になった。社長就任当時経営の危機に陥っていた会社を再生できたのは何故か? 諏訪さんの話から見えてきたのは、様々なステークホルダーとのフラットな関係づくりに象徴される、ボトムアップ型の経営方針だった。

子どもの頃から経営者としての父の背中を見ながら育ってきた

――諏訪さんは、2004年にダイヤ精機創業者のお父様の後を継ぎ社長に就任されました。いつかは「私が社長」という覚悟はされていましたか。

まったく思っていませんでした(笑)。大学卒業後の1995年、自動車部品メーカーに就職したものの、早く寿退社して専業主婦になりたいと思っていたくらいですから。父は「私を2代目に」という思いもあったかもしれませんが、私は結婚して父の会社を継ぐ2代目を産むことが自分の役割だと考えていました。早く結婚して、出産して、育てて、子どもがある程度大きくなったら社会復帰しようと自分のライフプランを計画していました。

出産後の1998年に父の会社に入社しましたが、特に将来の経営者候補として入ったわけではありません。総務の仕事をしていたため、父と一緒に仕事をすることもありませんでした。しかも、2度入社して2度リストラされています(笑)。会社の経営分析をした結果、売り上げに対して人数超過だと判断できたのでリストラ案を父に提出したところ、「明日から来なくていいから」と一言。父には経営者としての雇用責任もありますし、リストラするなら、「まずは身内から」ということだと思います。

――先代社長と一緒に仕事をしていない状況で急遽会社を継いだのは、かなり苦労や不安もあったのではないでしょうか。

いま思えば、父には要所要所で経営者としての姿を見せられていたんだと思います。例えば、私がまだ子どもだった頃から、取引先に連れて行かれましたし、銀行との交渉では隣に座って、担当者とのやり取りも見ていました。銀行とのパワーバランスはとても重要で、上下関係をつくるのではなくパートナーとしての関係性を築くことが会社にはとても大切であることも父の対応をみて知りました。だから会社を引き継いだ際、取引のある銀行に挨拶に行ったら「あなたで大丈夫なのか?」という目で見られて大ゲンカになったんです。

この経験は私にとって大きな糧となっていまに至ります。32歳の女性が、社会経験豊富な銀行の支店長に自分の感情や考えを思い切りぶつけるわけですから。それからというもの怖いもの知らずになりました(笑)。銀行に限らず相手と対等の関係になれないと、この世界を渡っていけないと学んだ瞬間でした。

経営者には人を優しさと厳しさで包み込む余裕も必要

――社長に就任して、まず何から始めましたか。

当時50~60代のベテランの職人さんたちが若い世代を育てる際にどんな教え方をするのか気になっていたので、まず交換日記を始めることにしました。実際に始めてみると、仕事中には見られない一人ひとりの性格や個性がものすごく出てくることに気付きました。父の方針でもあったのですが、どんなに面倒なことや、やることの意味を見いだせないことであっても、それら一つひとつを経験として積み重ねることで、見えるようになることがあります。10年前は「何でこんなことしなきゃいけないんだ」と言っていた人たちが、今はリーダーとして「彼はこんな性格なのでこんな教育の方がいいかもしれません」と次の世代を見ています。

そこで改めて気づいたのは、人材が本当に“宝”であるということ。私はいつも、「社長」をやらせていただいているという気持ちでいます。利益を出すのは社員で、私はそのお金を管理し、社員全員のやることに責任を負います。彼らがいなければ私はこの立場にはいられません。本来は社長である私が社員に対して喝をいれるべき場面でも、社員同士で喝を入れあってモチベーションをあげています(笑)。それくらいフラットな関係の組織で、さらにみんなが経営者意識を持ってくれているんですよね。

――改めて諏訪さんご自身の経営者の強みは何だと思われますか?

父は厳しく怖い人でもありましたが、とにかく明るい人でした。私も「笑い声でどこにいるか分かる」と言われるくらい、常に会社では笑っています。私の失敗を社員がフォローしてくれることもしばしば。経営者というのは完璧でなければいけないと思われがちですが、しっかりし過ぎなくてもいいのかもと思っています。経営者はゆとりが大事。人を包み込むゆとり。それこそがサーバント・リーダーシップ経営の原点なのではないかなと考えています。

社長になった当時は、社歴が長い年上の社員の方に「何でそんなことをするんだ」とよく怒られていました(笑)。でも常に社員との対話を意識して実績を重ねていくうちに、「社長がまた動いている。何か面白いことをするかも」という期待に変わっていったような気がします。

現場の知恵を終結させることで、会社は強くなる

――現場第一主義の視点を諏訪さんはお持ちですが、大学卒業後に一般企業へ就職して現場を経験したことも影響していますか?

大手の自動車部品メーカーでエンジニアとして働いていたとき、そこには現場がありました。現場で困っていることを解消して生産性をアップさせるのが私の仕事。ですが、大手だからこそ小さな課題にも関わらず稟議書を提出して改善するのに2週間もかかりました。その2週間でどれだけ生産性が落ちるか……、現場にいないとわかりません。私はその経験をいかして、会社を継いだときには経営者ではなく「この会社のエンジニアになろう」と考えたのが私のやり方でした。だから、トップダウンではなくボトムアップ経営なのです。製造業を営む以上はどうしても景気に左右されます。それに、会社には魂があると思っていて、会社に対して裏切り行為をすれば必ず見放されます。会社が人を惹きつけるのでしょうね。

――ご自身でも会社を新たに立ち上げられましたが、今後どのような経営者でありたいとお考えでしょうか。

日本は人口減少という大きな社会課題を抱えています。その中で生き延びるには、新たなものを取り入れ、生産効率を上げていかなければ世界に太刀打ちできません。そこで経営者としては常に有効と言われるものに注目していく必要があります。その一つがITであり、IoTなどの導入も視野に入れています。

中小企業や製造業全体の利益になることにも目を向けていかなければと考えています。だからこそIT関連の会社も立ち上げ、ワンコインでパソコンに不慣れな方でもスマートフォンから情報共有できるサービス、「Lista(リスタ)」をリリースしました。経営状態はまだ厳しいですが、起業したことで創業者の覚悟ができました。

経営者の集まりに行くと、創業者と事業を承継した2代目ではカラーが違うと感じていました。いつか自分自身が創業者にならないとそれぞれの領域が分からないと思っていたところがあります。私のように事業承継をして数年たって、自分の得意分野で起業する人もこれからどんどん出てくるだろうと思います。そのパイオニアになりたいという思いもありました。2代目は現状維持というのが最初の目標になりますが、ゼロからの創業はスタートダッシュが肝心。そんな風にいま、経営者としてあらためて思っているところです。

諏訪 貴子
ダイヤ精機株式会社 代表取締役

1971年東京都大田区生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)でエンジニアとして働く。32歳(2004年)で父の逝去に伴い大田区の町工場であるダイヤ精機株式会社社長に就任。新しい社風を構築し、育児と経営を両立させる若手女性経営者。日経BP社Woman of year 2013 大賞を受賞。2017年には社長就任からの10年間をまとめた著書「町工場の娘」がNHKドラマ10でドラマ化。自身の経験をもとに事業継承問題に積極的に取り組んでいる。また、ニュースZEROや日曜討論等のメディアに多数出演し、中小企業の現状を伝えている。

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